鼠穴
鼠穴というお話があります。
まずは、あらすじから書いておきましょう。
江戸にある一軒の大店の主に客が訪れる。ここの主人の弟の竹次郎である。実は二人は田舎者で元々百姓である。親父が亡くなったときに相続分をもらい、兄貴はさっさと江戸に出て商売をして一旗揚げた。弟は田舎に残り、金があるうちは怠けて遊び放題になった。そのうち金がなくなり友達もいなくなり、無一文になったため、江戸の兄を頼って出てきたというわけである。「金がなくなり、田畑も取られたから、どこにも行くところがない。自分を使用人として雇ってくれ」というわけである。兄貴は「人に使われていれば、いくら稼いでももらえるものはタカが知れてるから、自分で商売をすればいい」と言う。その気になった竹次郎に、じゃあというので袋を渡す。受け取って外に出てから開けてみると三文しか入っていない。屋台のそばが一六文という時代ですから、三文は今のお金で50円程度でしょうか。「馬鹿にしやがって!」と地面に投げつけようとしたが、「今の俺は無一文だ。土を掘っても金は出て来やしない。何とかこれを元手に商売をしよう」一念発起して商売を始める。
初めは三文で買えるものということで、藁を買いサシというものを作り売る。お金がたまったら、次の仕事を始める。朝は納豆売り、昼は甘酒屋、夜は泥棒の提灯持ちまでやり、とにかく朝から晩まで働いて大金ができたところで表通りに小間物屋を開く。使用人を雇えるほどの大店になった。
このお話の本論はこの後なのだが、ここまでのところでも十分に学ぶべきことがある。
成功したければ行動しろ!ということである。
誰しも楽をしてお金を稼ぎたいと思うものだ。だから安定した仕事つまりサラリーマンか公務員になろうとする。もちろんサラリーマンや公務員がすべて楽して働いているというのではない。毎日ノルマや残業に追われ大変な思いをしている人もいるだろう。しかし、始業時間や就業時間が決められていて、皆で協力して一つの仕事をしているため責任は分散されている。今、自分が動かなければ、働かなければ生きていくことができない、竹次郎のようなわけではないだろう。
竹次郎は、なりふり構わず働いた。ちょっとやばい仕事にも手を出している。もちろんそういうことはお勧めしないが、朝から晩までとにかく一生懸命自分の力で働いたのだ。
ここで注目したいのは、できそうなことは何でもやったということだ。三文しかなかったときは、あれこれ考えず、三文でできることをやった。お金ができたら別の仕事にも手を伸ばした。今の仕事が順調だから安定しているからと、のんびり構えることなく、次々に空いている時間にできることを行い続けた。考えてみれば、無一文だったわけだから、少しのお金があれば満足してしまって、また怠け癖が出てもおかしくはないだろう。
百田尚樹氏の「逃げる力」という本の中にこういうエピソードがある。ある中古車販売会社で、車を洗う正社員を月収18万で募集したがなかなか応募がなかったそうだ。炎天下で一日中車を洗うのはしんどいからだ。では20万に、22万に、25万ならどうだ?やはり応募はない。この社長は頭にきて、じゃあ、元も18万円でいいだろう。その代わり土日は休みにしてやる。途端に応募が入った。今の若者はとにかく「休みたい、遊びたい」なのだ。お金はそこそこあればいい、家でのんびりゲームがしたいというのだ。
もちろん、こういう人ばかりではないだろう。バイタリティーのある人はたくさんいることも理解している。しかし、一度安定した状況ができると、そこからさらに上のレベルに上がっていこうとするにはかなり余分のエネルギーが必要なのだ。人はどんな状況にあろうと、今いる環境がコンフォートゾーンになるからだ。
堀江貴文氏は多動力こそが今求められていることだという。多動力とは、いくつかのことを同時に行い進めること。そんなことをしたら、注意散漫になり、一つのことすら終えられないのではないかと思う方も多いだろう。また、職人技のように、一つのことに長年打ち込むことでしか得られないものもあるという考えもある。もちろん大切な行為だと思う。しかし、おいしい卵焼きや寿司を作るために、ずっとそればかり何年も修行するのでは時間が無駄であるというのが堀江氏の言い分だ。現に、ある有名すし店の店長は修行など積んでいない、調理の専門学校で3か月ほど寿司の作り方を学んだだけである。それにもかかわらず、このすし店は高く評価されている。仮にすし屋んも親方に弟子入りしていたら、最初の2,3年は岡持ちで、魚はおろかコメにさえ触らせてもらえないのではないか。先ほどの店長は、それを専門学校の3か月でクリアしている。そして余剰の時間で魚に関する知識や盛り付けの美しさなどを学んでいくことで、一年程度で一人前の職人と肩を並べるほどになったのだ。短時間で同時進行で多くを学ぶこと、これが多動力である。
鼠穴の竹次郎は、職人仕事というより誰でもできそうな仕事をいくつもこなしていくことで多動力を発揮している。そして、興味深いのは、最初に行ったサシを作る仕事だ。
サシとは何だろう。
江戸時代のお金は5円玉のように穴あきの硬貨だったこと、また札などはなかったし、一般庶民は高額の硬貨を持たなかったので、一日が終わった後の清算では、低額の硬貨をひたすら数えなければならなかった。それで、穴あき銭を50枚一束に括るため、穴に通す藁一本が必要になったということだ。この藁がサシである。それもきちんと木づちで打って柔らかくしたもので、端を結んであればなおのこと良い。これを大きな商売をしているお店に50本、100本という単位で売ればよい。薄利多売である。大店は非常に助かる。いわば、こんなのがあったらいいよねという隙間商売だ。しかしアイディア次第では大きな商売になることもなる。
こんな仕事をしたらどうだろう、こういう企画はどうだろう。大きな会社なら、企画会議がなされ、あれこれと検討した後、確実に成功するという確信がないとGOサインが出ないだろう。でも確実なんてどこにもない。完成度が高いから成功するわけでもない。とにかくいいアイデアがあったら、とりあえずやってみることだ。誰でもできそうなありきたりの仕事でも、始めて見たらうまくいくことだってざらにある。フランチャイズの焼き鳥屋や居酒屋がそうだろう。新しいアイディアでなくてもよいのだ。とにかく動くことなのだ。
というわけで、鼠穴の冒頭のところでは、多動力ということを学んだ。落語はばかばかしい笑い話では決してない。あの立川談志師匠は、「俺は落語から市井のことを全部学んだから庶民のことは何でも知っている」とおっしゃっていた。落語は庶民の生活を映したもので、400年受け継がれてきた、人生の教訓譚なのだ。(嘘つけ!)
さて、この鼠穴の噺には続きがあり、本当はこちらの方から重要は教訓をお伝えしたかったので、後日続きをお話ししましょう。
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