自分探しをする人は、今すぐ「粗忽長屋」を聞きなさい!

自分は何者なのかと悩む若い人たちがいます。今すぐ「粗忽長屋」を聞きなさい。

今ではあまり使われない言葉ですが、粗忽とは、軽はずみなこと、軽率なことをさして使われます。噺の中では極端なレベルで描かれていますが、実際には軽率な人は世の中に多いものです。発達障害の方はこの傾向が強く出てます。アスペルガーの方も、思い込みや勘違いからくる軽率な行動を取ることが多いものです。落語の世界に出てくる粗忽な人は、今で言う発達障害のような傾向の人だったんだろうなと思います。そう言う人が仲間に普通に受け入れられ、普通に暮らせているから、落語は面白い。

まあ、粗忽な人は、頭が悪いのではなく、常人とは別の方向を向いているだけなのかもしれませんが。

そのためと思いますが、この種の方は、ある時突然、自分探しなるものをしたがるようになります。一般人とは全く別の方を見ていて、ずーっとそっちに進んでいますから、ふと周りを見たら自分一人になっていることに気付くわけです。そこでやっと分かるのです。俺って他の人と違うんだな。俺って何者?

それで自分探しが始まるのです。

そういう人は、ぜひ粗忽長屋を聞いてください。

粗忽長屋のあらすじ

ある男が歩いていると人が集まっているところがある。なんだろう中の様子を見ようとするが、なかなか見えない。しゃがんで人の足の間を進んで、前に出ると何かに筵がかけてある。何が始まるのかと尋ねると行き倒れだという。人が死んでいるが誰か分からないから困っているらしい。見せてもらうと、あっ、コイツはクマだ!俺の兄弟分だからよく知っている。今朝も会って話したが、ぼやーっとしたやつだから、ここで死んだのを気づかずに家に帰っちまったんだろう。行って呼んでくるから、とぷいと行ってしまう。

長屋に戻ってクマを呼ぶ。

事情を話すが噛み合わない。なんとか説得して、例の現場に連れて行く。

このクマさん、死んだ男を見て俺じゃないと思うが、ワーワー言われているうちに、あ、コレは俺だ!と納得する。

やい俺。なんでこんな姿になっちまったんだと抱いてやる。しかしここで気づく。

抱かれている俺は確かに俺なんだが、抱いてる俺はいったい誰なんだ?

自分探しをしている人は、みんなこれです。

探されている自分は確かに俺なんだが、自分を探している俺はいったい誰なんだ。

馬鹿げてますね。

粗忽長屋は落語の中でも基本的なもので、これを聞いて笑わない人はいません。もしこれを聞いて、確かに俺は誰なんだろう。難しい問題だなぁ、と考え込む人がいれば、危ないから近づいてはいけません。

それでも、現実世界には、こういう自分探しをしている人がたくさんいます。夏休みになると、自転車で日本一周する人とか、バックパックを背負いインドとかネパール辺りを放浪して腹を下して帰ってくる人とか。サッカーの天才と言われたあの人とか。

この方の場合、サッカーが得意で好きすぎて、次に本当にやりたいことが見つからないというだけです。現実には、いろいろな活動をしていて、そこでもそれなりの成果を生み出しています。普通の凡人である私からすると、その一つ一つがスペシャルな仕事をしていると思います。なのに、これじゃないと思うみたいです。やはりまだどっか違う方を見ているんですね。

さて、レベルを下げて普通レベルの我々が自分探しをしたがるのは何故か?

それは単に自分を見つめたことがないからです。

落語の松山鏡の中で、父親に会いたいという男に鏡を覗かせたら、ああ、おとう!会いたかったーと涙を流して喜んだという場面がありますが、それと似ています。自分の姿を見たことがないのです。

もちろん、今時の若者なら自分の姿形は分かっているし、気にし過ぎるくらい気になるようですが、現実の姿はわかっちゃいない。見えているものの表面しか見ていないため、自分の内面や他の人からどう見られているか、本当の自分は何が好きで何が嫌いか、何がしたいことで何をしたくないと思っているのかが分かっていないのです。

それで、一度じっくり自分を見つめて考えてみることをオススメします。

その際、思いに浮かんだことを紙に書き出すようにします。書かれたものを見ると、思わぬ自分の姿にきづかされます。

例えば、

好きなこと

嫌いなこと

得意なこと

苦手なこと

悩んでいること

かっこいいと思う人

やってみたいこと(趣味レベルでよい)

軽い気持ちでいろいろ書いてみましょう。

世界中回らなくても、自転車で日本一周しなくても、紙に書くだけで、「不思議、自分発見!」

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