炭焼き人―富七

人に歴史ありといいます。ファミリーヒストリーという番組はお好きですか?家族の生き方を知るのはとても面白いですね。

私の祖父は炭焼き人でした。

岩手県の北部は山が多く、林業が盛んな地域でもあります。住宅に使う木材と言えば、スギやヒノキなどのまっすぎ伸びてゆく針葉樹などであり、背が低くてすぐに枝分かれしてまっすぐな材木を作るのには適さない広葉樹は、生えてきても収入になりません。この広葉樹はいわゆる雑木と呼ばれて、いらないモノ扱いです。よく手入れされている山であれば、下草刈りや柴刈りをして、雑木が生えないようにしているわけですが、それにはそれなりの経費が掛かります。経費をかけずに雑木を有効活用する方法が炭焼き人を入れることです。

スギなどの針葉樹を植えた山に生えてしまった広葉樹は邪魔になるので、間引きのために炭焼き人を山に入れて、木を伐採させ良い木だけが残るようにします。炭焼き人の側も伐採した木をもらい炭にして売ることができます。いわば原価が0円で木炭の原材料が手に入ります。山の地主も伐採のために人を雇う必要がないので経費が節減でき、お互いWINWINな関係です。

祖父の場合、顔見知りの地主さんがあったようで、毎年の冬場には数か所の山を転々として炭を焼いていたようです。昔のことですから、自家用車を持っている訳でもなく、ましてトラックなどはなく、整備されている訳でもない山道で荷車を引くこともできないため、炭を焼くために一冬山籠もりすることになります。山の中腹の適当なところに小屋を建てて、小屋の横に土を盛り炭焼き窯を作るということを毎回行なっていたようです。

炭焼きの窯の作り方はそれほど複雑な作業ではないようですが、労力としては大変な作業だったようです。窯の表面をしっかりしまった堅いものに仕上げないと、ひび割れて空気が余分に入り、いい炭にならないどころか、すべてが灰になってしまうかもしれないので、丁寧に作らなければなりません。
土を盛り上げたら水をかけ、木でたたいてしっかりと固めていきます。一度にたくさんの炭を作るためには大きな窯が必要です。それで、大きな土の山を作り、表面をバンバンたたいていきますが、これがなかなかの重労働だそうです。大きくなればなるほど表面の強度が求められるからです。これは窯作りを手伝った叔父から聞きました。土の山を固め終わったら内側を空洞にしていきます。掘りすぎると窯の強度が落ちますが、掘り方が足りないと、空間が狭くなりますから、一度の作業で少ししか炭を作れないので効率が悪いわけです。

これだけの作業をしても、この窯は一冬しか使われなかったようです。次の冬には雑木が育っていないので違う山に入るからです。かなりつらい作業です。祖父はこれらのことを毎年毎年場所を変えて行っていたのです。

炭焼きの過程のことはほとんど知らなかったのですが、調べてみると、時間と手間のかかる大変なものでのようです。窯の内部に適度なサイズに切った木を縦にビッシリと隙間なく並べていきます。穴の口を塞いで小さな空気穴から火を入れて少しずつ燃やします。これは木を乾燥させる過程で3日ほどかかります。そのあと本格的に火が入り炭化させます。そして冷やすのにも数日かけます。空気穴の調整や煙突の空け具合などタイミングや調整は熟練の勘がものをいうもののようです。祖父は若いころから80過ぎまで、農業の傍ら冬の間はこれを続けていました。

余計な話ですが、秋から春まで家を留守にしていたからなのでしょうが、子供を置いたまま、奥さんに逃げられてしまいました。正確な事情はわたしの母も分からないと言ってましたから謎のままですが、家族に寂しい思いをさせていたのは確かでしょう。

この祖父は、私が7歳の時に亡くなりました。肺が悪かったと記憶しています。もしかしたら長年の炭焼きで、煙を吸い続けたことで肺炎を患ったのかもしれません。祖父の思い出はあまりないのですが、3,4歳ぐらいのときに一度、この炭焼き小屋にお泊りしたことがあります。うっすらとした記憶しかないのですが、とにかく寒くって暗くって、つまらなかったとしか覚えていません。祖父にしてみれば、小さい子供がそばにいれば作業の邪魔でしかなかったのでしょうが、私の父が婿養子であり外で働くことを好んでいたので、自分の後を継いでくれるのは長男のこいつだからという思いがあって、何かを教えるつもりでいたのかもしれません。残念ながら私は体力も根性もあまりなく「うらなり」と呼ばれていましたから、がっかりしたでしょう。

祖父の仏壇の上には岩手県知事からいただいた表彰状が飾られています。祖父の焼いた炭はとても優良品質だったようです。

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